馬鹿みたいな日常の中で馬鹿みたいに洗礼された有触れた俗が知恵と持て囃され、この繰り返されている歴史の中で費やされた全ての生物の全ての思考の全ての時間からはたった一人もたった一つも真実や確信を見付けられず、永遠に立塞がる命題の向こう側へは完全に想像でしかない自分達の存在する意味を投付け、ちゃんと入ったのかどうかも分からず、死んで行く。何の意味も無くある日突然死ぬ。何の意味も無い死。環の中でぐるぐる回るだけの命。誰が自分の生き方なんてものを決められるものか。だけども生きている。苦しくは無いのか。耐えられない。でも生きている。自分が恰も温い血が詰ったサンドバックかの様に毎日毎日ボコボコにされて、私は苦しい。君に尋ねる「幸せか?」或いは「楽しい時はあるのか?」と。君は「少しでもそれが無ければ生きていない」と言う。
頭の上で世界がぶっ壊れ続けている。赤いテープでぐるぐる巻きにされた球体が吊るされている。
私達は笑う。当然笑う。声を上げて。生きている限り。楽しむ。それで誰かを殺す訳でもない。その様に毎日を過ごす。笑わなければ、楽しくなければ、幸せでなければ、駄目だ、いけない、生きている意味が無い、死んでしまう、と云ったレッテルが私達全ての生き様であり、凡そそれは他人に対する義務でもある。これは道徳である。笑っていなければ異端だ。でも、その笑い声達がある日、地獄の雄叫びの様に聞こえ、身を燃やす炎になる。
血肉骨体液生死を莫大に浪費し、苦痛と死で出来上がった街を毎日毎日、飽きる事無くせっせと綺麗に掃除する。何処にでもある筈だった自然なグロテスクを只管隠す。街を歩く時は颯爽と、自分には性器すらも付いていないとでも言わんばかりの顔を湛え、私達は知性のある特別な生物である。殺し合いの武器の代わりに紙幣を突き付け合って、多い方が少ない方を、何でも言い成りに出来る。楽しい。笑える。悪い冗談だ。
私は動物の革、若しくは宝石や金属となって、息絶えた振りをし、黙ってずっと監視している。お前を見ている。
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