運命を憎んでも人は憎まない。
2017/06/18(日) 00:46 permalink COM(0) TB(0)
誰だって辛い???

それが本当なのかを確かめてくれ。

君だけでも良いから。
2017/06/15(木) 00:40 permalink COM(0) TB(0)
馬鹿みたいな日常の中で馬鹿みたいに洗礼された有触れた俗が知恵と持て囃され、この繰り返されている歴史の中で費やされた全ての生物の全ての思考の全ての時間からはたった一人もたった一つも真実や確信を見付けられず、永遠に立塞がる命題の向こう側へは完全に想像でしかない自分達の存在する意味を投付け、ちゃんと入ったのかどうかも分からず、死んで行く。何の意味も無くある日突然死ぬ。何の意味も無い死。環の中でぐるぐる回るだけの命。誰が自分の生き方なんてものを決められるものか。だけども生きている。苦しくは無いのか。耐えられない。でも生きている。自分が恰も温い血が詰ったサンドバックかの様に毎日毎日ボコボコにされて、私は苦しい。君に尋ねる「幸せか?」或いは「楽しい時はあるのか?」と。君は「少しでもそれが無ければ生きていない」と言う。

頭の上で世界がぶっ壊れ続けている。赤いテープでぐるぐる巻きにされた球体が吊るされている。

私達は笑う。当然笑う。声を上げて。生きている限り。楽しむ。それで誰かを殺す訳でもない。その様に毎日を過ごす。笑わなければ、楽しくなければ、幸せでなければ、駄目だ、いけない、生きている意味が無い、死んでしまう、と云ったレッテルが私達全ての生き様であり、凡そそれは他人に対する義務でもある。これは道徳である。笑っていなければ異端だ。でも、その笑い声達がある日、地獄の雄叫びの様に聞こえ、身を燃やす炎になる。

血肉骨体液生死を莫大に浪費し、苦痛と死で出来上がった街を毎日毎日、飽きる事無くせっせと綺麗に掃除する。何処にでもある筈だった自然なグロテスクを只管隠す。街を歩く時は颯爽と、自分には性器すらも付いていないとでも言わんばかりの顔を湛え、私達は知性のある特別な生物である。殺し合いの武器の代わりに紙幣を突き付け合って、多い方が少ない方を、何でも言い成りに出来る。楽しい。笑える。悪い冗談だ。

私は動物の革、若しくは宝石や金属となって、息絶えた振りをし、黙ってずっと監視している。お前を見ている。
2017/06/13(火) 07:38 permalink COM(0) TB(0)
僕は、この世界の通り相場では生きられない。社会通念や正義、普通に行われる他者からの気遣い、そして普遍的な家族の愛情ですら、時に恐怖であり、大きな脅威なので、稀に発狂して死ぬ様な思いをする。

しかし何も難しく考えず、この様な残酷な感情は単なる病気なのだと必死に捉え言聞かせ、耐える。思惟の全てを逃げ道に使用し、駆け込み寺にする。ここは貴方を守ってくれる寂れた寺。言聞かせる。しかし、結局は倒れる。ここには神が不在なのだと考える。次は神社か修道院か。阿弥陀なのかヴィシュヌなのかヤハウェなのか。

繰り返し彷徨い続け、気付けば不信仰になり、死骸だらけの暗渠に飛び込んでいて、そこで浚った鉄パイプを拾い、これで戦うしかないのだと考える。自分の代わりに戦う者などいない事を知る。しかしこれは自分の心なのだと思い出す。自分自身が敵である限り、戦う事も出来ない。

真っ暗で何もない場所で立ち尽くし、星空を眺め、ただただ自分の小ささに嘆く。そこに宇宙がある。これは自分の心だった筈だ。僕は宇宙だ。でも今井将は今井将に代わりないよ。それでも宇宙の様に僕の中には無限のものがあって、全てを吸収出来ると、前へ進めると思ったんだ。終わり。
2017/06/13(火) 06:37 permalink COM(0) TB(0)